植松努さんとの出会い

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私が大きな影響を受けた人物の一人は植松努さんです。

植松努さんとの初めての出会いは、2012年の夏のことです。植松電機も1×8宇宙開発局で協力しており、植松努専務は1×8宇宙開発局の顧問でした。そんなわけで、1×8宇宙開発局の収録が始まり、風船による宇宙撮影についての諸々の打ち合わせをするためにSTVの中さんに植松電機に連れられて行ったときのことです。

それまで、植松電機は大学の研究室で時々名前を聞いてはいたので、植松電機の名前を知らなかったわけではありません。日本で初めて民間でロケットエンジンを開発した企業で、度々メディアに取り上げられていますから、北海道で知らない人はそんなに多くありません。また、私がお世話になっていた教授、永田晴紀教授と植松電機と共同でロケット開発をしていましたので、かなり頻繁に名前を聞いていました。私の研究室の友人たちのうち数人もたびたび植松電機に行っていたようですが、私自身はロケットに関わりがなかったのでこと、そして赤平市という札幌から遠く離れた場所であること等々、色々な理由で結局大学では植松電機に行く機会に恵まれることはありませんでした。

打ち合わせへの札幌からの道中思いの外早く進み、打ち合わせ時刻より30分近く早く植松電機に着いてしまいました。植松電機は赤平工業団地の一角にあります。とても広い敷地で、この工業地帯の一角の敷地内でロケット開発をしています。到着した時には、学生服の2~300人の集団が敷地内にいました。工場にたくさんの学生がいるとは思ってもいませんでしたから、これには大いに驚かされました。敷地内を見渡すと大型バスが何台も止まっています。張り紙をよくよく見てみると、どうやら本州の高校の修学旅行らしいです。これでやっと、なんとなくではあるが状況が呑み込めました。修学旅行で本州からはるばる工場見学に来ているのでしょう。

学生さんたちは皆、手に何か持っているいます。それは紙製?のロケットです。そのロケットは何であるか考えていると、建物の中から植松さんが出てきました。私たちを見て挨拶をくれましたので、何をしているのか質問すると、これから学生一人一人に作ってもらったロケットを飛ばしてもらうそうです。

私が一番初めて植松さんにお会いしたのがこのロケット打ち上げの現場でした。

この出会いのひとときを言葉で語るのはとても難しいです。一つ言えることは、この出会いが私の人生の最も大きな転換点になったということです。自分が成すべき仕事が何であるかを初めて理解した瞬間でした。私は貧しくして育ったのでお金に苦労し続けていた過去があります。そのため、お金の苦労から解放されることが大切なことだと信じていました。私が高校の頃には某IT企業の社長が自前の剛腕さで毎日のようにテレビを賑わしていて、そんな人物に憧れもしていました。また、自分自身が自由で裕福で十分な時間を持って生活をすることが人生の理想だと信じていました。しかし、こんなことは取るに足らない下らない事だったのです。それまでの自分の価値観がいかに小さく、下らないことだったのかを知りました。こんな目標は取るに足らないのです。本当の仕事が目の前にあったのですから。本当の仕事とは何であるのかをこの日私は知りました。後に某IT企業社長だった人に会うことになるのですが、私の価値観は昔のものに戻ることはありませんでした。この日のひとときの出来事は、植松さんにとってはなんてことのない一時できっと忘れてしまっているかもしれません。けれども私の将来を決めるとても大きな出来事だったのです。

学生さんたちのロケットを飛ばすまでの不安に満ちた表情と、その後の表情が全てを教えてくれました。

修学旅行生の人生初で作り上げたロケットはボタンを押すと時速数百キロの速度で飛んで行き、上空で落下傘が開き、ふらふら降りてきます。学生が皆打上げ、パラシュートが開き無事戻ってくるのを追いかけている様子を、私は最後の一人になるまで眺めていました。

植松さんは今日もモデルロケットを通して、たくさんの若者たちに『どうせ無理』なことはないんだ、ロケットだって自分で飛ばせる、叶えられない夢なんてないんだということを伝えています。人に届いた想いは、きっとその人の人生の中で流れ続けます。

あれから2年経ち、そして私もまた風船のパラシュート制作教室をしています。

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岩谷圭介

私は日本人で初めて、独力で宇宙開発を成功させました。私の行っている風船宇宙撮影を通して、より多くの人に、宇宙をもっと身近に、そして夢はすぐそこに広がっていることを実感してもらいたいと思っています。

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